ロビン

貧困と云う言葉に、必ず思い出すエピソードがあります。昭和30年前半、小学生の時、朝食にたまに出る納豆汁の事。醤油とお湯で増やして、1つの納豆を全員(父親以外)で食べると云う、粗末な朝食です(ご飯有) 家は貧乏と思ってました。 友達の家に寄って、学校へ通う毎日、早く着きすぎて、友達の家の朝食に遭遇、我が家の納豆汁と同じようにして食べていた。。 なーんだ普通かと考えを正したものです。
頂いたレトルトカレー

カレーライスはご馳走! 黄金のオルエンタルゥな輝き!(そんな時代でしたから) ある日、お肉の代わりにさつま揚げが入っていて、えっ!ですよね 察しました。 学校給食は有って、お汁粉とコッペパンのみ、煮えんどう豆と食パン、吐いて泣きましたわ(残し厳禁) 知恵を付けてから、パンに挟める物はこっそり、お持ち帰り、じかに入れられたランドセルの中、母親は毎日点検、往生したと言っていました。
ヒトシ

父親は新し物好きな人で、ラジオ屋さんのテレビ街頭に群がる人々の最中、家にテレビがやって来て、家計をやりくりしてる母と、ひょうきんな父とケンカ! 当時サラリーマン月給平均は13,800円(歌の歌詞より) 何倍もするテレビなどとは考えもせず、子供らは嬉しくてですね、家で見れる喜びに湧き上がったです。(月光仮面ヒーローに風呂敷あらばなれる(^^))
小学6年の夏休み、初アルバイトを体験(誰の許可も不要) 家計を助けるんではなく、郵便貯金に目覚めたからです。1日の小遣い5円、10日毎に通帳(ビラビラした形)と50円を持って郵便局へ、貯まる事に萌ました。そして手っ取り早い手段がアルバイトでした。 日給120円、初給料で家族にお土産を買いました。母には下駄を(時代判りますね) 仏壇に給料袋を供えてから、母は私からそっと背を向けました。泣いているようでした。自分が楽しいからだったのに、感激してくれたんですね(^^)
更けゆく秋の夜

時代は進み、2年ぐらい前の事 新聞に母子家庭の記事、テレビにも出演されて、5人家族でカップめんを揃って食べていました。こんなんしか食べられないんです!をクローズアップ、生活保護、児童福祉手当受給ながら、母子加算復活の内容で、減らされては困ると言う訴えに、違和感を持ちました。失礼ながら…働かないの? 母親は体格が良い 煮ラーメンとキャベツでもっと美味しくなるのに 生き抜く知恵は…などなど これが時代の温度差と思いましたね
もう少しで寝子な猫

はまぞうブロガーさんの殆どが、自分より年下の方々と判っていますから、昭和30年代なんか知らないですよね。ここにも温度差有りですが、こんなつぶやきもイイかなと書いてみました。 長たらしくて(_ _)ペコリ
昭和を力強く生きた人、故人 一般では貧困は当たり前、普通の営みだったのですね 子供のために親は欲を捨て、働き育ててくれた事に感謝しかありません。 慎ましくても、その日々は、確かに幸せでした。
●いいエピソードを、ありがとうございました。
●ほろっ、ときたエピソードもありましたよ。
●そうですね。みんなビンボ~でした。
●今は、モノは溢れているけど、心がビンボ~なのかな。
●オジサン、両方、ビンボ~。(笑)
ウチもビンボーでした(^^)
私はKAKAさんより少し年下です。
母子家庭の記事 私も違和感です。
カップラーメンを買う代わりに他のモノを買う選択肢は無かったのかな?
生活保護を受けている人が太っていたり…。
言いたいことはいっぱいある!!
受給額が私の収入よりも多いんですもの(>_<)
すみません 毒を吐いてしまいましたm(_ _)m
ふふ♪3ニャンが縦一列ですね~。
団子が楽しみです(*^^)v
オジサン様**
兄に「お前は普通になれんのか」と言われた子供時代
です。働いて稼ぐ事が面白くて、その後も続け、近所
の子供らも真似をし出して、楽しかったです。
貯金は、やがて夢中になるレコードと関連品に使い
果たしても満足でした。
言う事聞かない娘は、母親にはいろいろ心配をかけ
たんです(..;) 相談せずにまっしぐらだったから。。
謝りたい気持ちで、この二俣で過ごし、最期を看れて、
許してくれたと思いたいです。
そうですね、心は穏やかでいたいですね(^^)
お酒に縁はないけんど、気持ちよく酔うのと
似てますかね~ バーボン人生みたいな(^^ゞ
ゆみりんにゃん様**
縦一列、かわいいでしょ♡ 私の脚を下敷きにして
いるんで動けず、珍しいtotogiが撮った2枚です
記事で伝えたかった部分はデリケートで、抑えて
書きました。温度差でまとめてしまいましたが、
くすぶっています。 母子で受給もせず、子育てを
頑張って生きておられる方は大勢のはずです。
心清く、慎ましく…
困窮キワマり、ご飯を食べられない状況になっても
猫にはカリカリ、病院には連れて行くからね~(^o^)
貧乏経験者は強者で弱い者の味方ですからね(^^)
KAKAさん♡ こんばんは(*^。^*)
私は昭和30年代は知らないですけど
感慨深く 読ませて頂きました。
平成生まれの 我が愚息達に
読ませたい!!記事です。
記録して残しておくこと
これからの日本のために
大事なことと思いました
ありがとうございます(^_-)-☆
キッコさん、おはようございま~す
日本のためって、オーバーすぎるよ^^;
家の貧乏さらけ出さないと、題名ナイーブな部分
は書けない、はてさて… 悩むくらいなら止めとか、
炎上は!? 楽しくない記事ってどうなんだろ…
しばし悩んでからのアップでしたのに!
コメントが頂けて嬉しい限りです(´-`)
考えたら、子供達に話した事なかったです。父親か
らは一部聞いたと「ひょうきんキワマりない」部分
爺ちゃんは何をしゃべったのでしょう^^;
若い方に30年代を話すと云う事は、私が昭和初期を
聞くのと同じでピンと来ませんものね^^;
どちらにしても、電化製品も物資豊富でない時代を
愚痴を抑え、懸命(賢明)に生きて、現在に繋がって
いるのは確かですね(^^)
いや~お言葉にホッとしました。キッコさんありがと
私も昭和30年代はわからないけれど
所得で言えば今が人生で一番貧乏です(笑)
低所得世帯です。
だからお金の使い方は
以前と全く違うし、価値観も随分変わりました。
カップ麺を「こんなんしか~」という思考は
心まで貧困にさせてしまいます、きっと。
ゆみりんにゃんさんの「太っていたり」に激しく頷いちゃいました。
プリンのようなヘアカラーだったり
ネイルが剥げていたり。
貧困であっても、心は整えていたい。
そう自分寺院言い聞かせています。
今回の記事、
深く考えさせられました。
昔を思うと確かに今は恵まれているよね。
昔のように生活してたら節約できるのにって、、、(>_<)
今のレベルを落とせって言われても無理だろうし!
でも、災害で避難している人達を見ると
ひと昔前の生活状態。
今の時代を生きていられることを感謝しなくては‼
Kさんが豆を苦手の理由、解りました。
ひゃ~、誤字です。
自分自身整えていたいっていうその口で
自分寺院って言ってしまうあたりが
私の本当の姿なんだよねー。
再度言い聞かせます、はい!
ヒマちゃん**
こんな記事で考えて下さったなんて嬉しいです。
昭和30年代、想像も出来ないでしょうね、
3才の七五三辺りから鮮明な記憶、狭い家の中に
ブランコを作ってくれた父親とか、ちゃぶ台を
ひっくり返された、悲しそうな母親の目
(星飛雄馬の父ちゃん知ってる?) それでも恋愛結婚
仲良しでした。私たちは可愛がってもらいましたね
ビンボーでも、家族の基盤を身に付けれたと思います
ナイーブな事柄の貧困部分、その子供達はどんな大人
になるのか、心配してあげたくありません。
ヒマちゃんの現在が低所得者だと仰る、高級グルメ*
ワインに違和感あり!!((((*゜▽゜*))))ですよ~
度数が違いすぎますよ(^^)
追伸にもご返事しますねε=ε=(=^..^=)
ヒロさん** ありがとう
これからのブログ記事はBABA目線で行こうかなって
思えるほど、皆さんのお言葉頂きました。
私の曾祖父母は、江戸時代末期に生まれて、私の位置
はひ孫だよ^^; 祖父母の顔も知らない、大判さんの
リアル・ルーツはすごいよね(*'▽'*)
ヒロさんも最後まで父母様を看れたね、年少の勤め、
お茶碗洗いの風習を蹴散らしてくれた母上様には
感謝だね、嫁に行っても父母の教えを守ってるトコ
ってあるよね (借金してまで物を買わないとかね)
戦争体験して激動の時代を生き抜いた人、育てて
くれた人に、今夜は渋めのお茶を供えたよ~
再びヒマちゃん
自分寺院って意味深くとれるよ、そのままでも
良かったのに(^^)
ヒマちゃんはステキな生き方してらっしゃると
いつも関心しています。考え方、学び方、遊び方
祖母様のお話聞いたとき、オシャレ感覚は伝統、
受け継がれる事、自分に比べカルチャーショック
でしたよ^^;
ガサツ人ですが、ニャンコ接点でついて行くからね!
私は KAKAさんの
ちょっと年下ではありますが
さほど変わらない年齢だと思います、
当時 みんな同じでしたから
貧乏とは感じたことがないんです(';')
あれは貧乏だったんでしょうか?
それとも そこの数年の差は大きいということでしょうか?。。
ただ 母子家庭には 私も違和感です。
働くと受給資格がなくなるから
働かないのか?何なのか全く分かりませんが
カップラーメンは割高いですよよね?
花名さん**
昭和30年初頭から日本は高度成長期に入ったと
されています。一般家庭での恩恵はそれより後に
やってきて、両親は22年に結婚、全くの0から出発
ですから、財産を築くより、子育てと食べていくのが
やっとだったと認識しています。
親御さんの援助、家がありでも度数は違いますね
給食にも泣きましたが、家ごはんも貧乏と思える
質素さに自分だったらとハングリー精神に考えを
巡らせました。
貧困は当たり前と云う言葉、悩ませてしまいましたね
ごめんなさい(_ _)
間接的題名の違和感に繋がるかなと書き及びました
心清く、健康な人は働いて頂きたいと云う願いです。
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