*前回記事の続きのようですが、昔々の七五三の小物飾りです。

*筥迫(はこせこ) 着物胸元へ収める物で 上、七歳の時 下、三歳の時
*金属製の飾りは「びらかん」で筥迫上部にセットして、歩くとチャリチャリって可愛く揺れる
母を二俣に迎え、実家の片づけに(家解体のため)行った時、タンスにしまわれていた物で、処分するなんて当然出来なくて、持ち帰りました。
ビンボー生活だったけど、お祝いしてくれて、晴れ着を着た日、歩いたことを覚えています♬
これらを認知症の母に見せましたところ、じっと見つめておりました。 私を実娘だと認識薄い母は解ったでしょうか 「○○ちゃんは、もっと若い子だよ」そう思っているのが現実で、どうしましょうでしたね(汗)(汗)
命名とへその緒 女の子用箱には絵が書いてあるのね

貴重で、一生を付き合う名前 これも持ち帰り、母に、水戸黄門のクライマックスにある「娘の動かぬ証拠だよ」お芝居仕立てで演じてみたりしました(^^)
昨年94才で亡くなり、一緒に住みたい希望は叶えられましたが、一方通行の話し…でも、とてもとても愛おしかったです。
父親は口うるさくて、ひょうきんな人、母は耐え忍ぶ人でしたが、「私は男の子ばかりを産んだ覚えはナイのに」が口癖で、お転婆な娘を、らしく育てたかったんでしょうね^^;
不足な部分も多々有りましたが、二俣の生活、施設の通い、お別れまでの時間は貴重で幸せだったと、今にして想います。
仲良しさんは、何見ているのかな

家族を思いやる、人に優しく、これらは時に守られていませんが、両親に教えられた様々は頭に刻んでいます。 出来る事なら長生きを… 子供たち孫の生活無事を見守り見届けたい、会話も最後まで出来る脳でいたく思います。
そうだよ!長生きしなくては!

ビートルズを観に行った時、海外へ行った時、母親には事前に詳細を伝えて、父親には総て反対されるからと、当日報告でした。私が出かけた後、責められる母を想像してなくて、どちらにも親不孝しました(..;) 様々思い返すと…そう思います。つくづく思います。 (今朝は美味しいお茶、入れますからね~)
*七五三小物飾りの名称を、教えてくれたのミツバ美容室の先生です。調べても字が読めなかったのに、さすが!プロフェッショナルです。ありがとうございました。 「母のこと」記事は、これで最後にしますね